クリスチャンの中でもっとも小さきものとして

クリスチャンの中でもっとも小さきものとして。

 

これまで霊的な真実を求めて様々な宗教や占術、心理学などを学んできました。その一方で、常に自分の心の内側には小さい頃に聞いて、信じたイエスキリストへの信仰がありました。
もちろん、聖書の世界では、占いが禁忌とされていることも知ってはいました。
しかし、気軽に、あるいは本格的に聖書を学ぶ機会がなかったからこそ、分厚い電話帳のような文量や、日本人の文化にとって異質な一神教、三位一体に基づく世界観や、非常に難解に思える歴史などに、異国の地にあるどこかいつか到達しなければならない、遠い目的地のようにも感じていました。
しかし、聖書の教えはとてもシンプルでした。十字架にかけられ私たちの原罪をあがなってくださった、神の子イエスキリストを自らの救い主として受け入れること。このことによって、罪があがなわれ、永遠の生命を得ることができるという「福音」という教えです。知識や行いによってではなく、(主イエスキリストへの)信仰のみによって救われるという教えです。
多神教国家である日本において、「いろいろな宗教、占いはきっと見ているパースペクティブが違うだけで、霊的真理を追究していけば必ず同じ真実に行きつくはずだ」という認識のフレームが、一般的な宗教観だといえるでしょう。昨今のスピリチャルブームも、こうした宗教的多元主義、もしくは多神教優位論が背景にあります。私もこうした宗教多元論に基づいて、様々な霊的な学問を研究してきたのですが、しかし、最終的に行きついた聖書の教えは、こうした宗教的多元主義のフレームを超え、なぜ日本人にとっても福音が大事なものであるのかを、知識としても、霊的にも、完全に納得させるものでした。それは、「信仰のみによる救い(信仰義認)」というものにこそあったのです。(詳しくは聖書のローマ信徒への手紙を読んでいただくと使徒パウロが伝えた神学が分かりやすく解説されています。)
東西古今の霊的な探求をしてきたからこそ、私は、福音こそが真実であるということを受け入れました。そして、イエスキリストへの信仰によらない、占星術での「技による救い」には限界があること、そしてしばしばこうした「技による救い」の教理は、救済論として不完全なもので、どれだけ愛を尽くしたつもりでも、サタンや悪霊が入り込んでしまうことがあるということを学びました。
伝統的なクリスチャンの世界からすると、私は占い師をやってきたということ自体で、大きな罪を犯しており、クリスチャンとして、最も小さきものです。しかし、私は悔い改め、主イエスキリストを、私の救い主として信じています。主を賛美するため、主が私を赦し、愛してくださったように、人を愛するため、真摯に神の言葉を受け止め、これからも世の中のために頑張っていきたいと思います。

 

聖書から、「主に多くを赦された人は、多く主を、そして人を愛せる」という一節をご紹介します。主の愛の深さに触れた人間が、どのように人を深く愛するようになるかを感じる、とても深いお話です。

 

「あるパリサイ人から食事に招待されたので、イエスはその家に入りました。一同が食卓に着いていると、 町の女が一人、高価な香油の入った美しいつぼを持ってやって来ました。この女は不道徳な生活をしていました。 女は部屋に入るなり、イエスのうしろにひざまずき、さめざめと泣きました。あまり泣いたので、イエスの足が涙でぬれるほどでした。女はていねいに自分の髪でイエスの足の涙をぬぐい、心を込めて足に口づけしてから、その上に香油を注ぎかけました。 イエスを招待したパリサイ人はこの出来事を見て、「これで、やつが預言者でないことがはっきりした。もしほんとうに神から遣わされた者なら、この女の正体がわかるはずだから」とひそかに思いました。 ところが、イエスはすべてを見通しておられました。「シモンよ。あなたに言っておきたいことがあります。」「はい、先生。何でしょう。」 「ある男が二人の人に金を貸しました。一人は五百デナリ(一デナリは一日の賃金)、もう一人は五十デナリ借りました。 ところが二人とも、どうしても借金を返せません。金を貸した男はたいへん思いやりのある人だったので、二人の借金を帳消しにしてやりました。この二人のうちどちらの人がよけいに貸し主に感謝し、彼を愛したでしょうか。」 「たくさん借りていたほうでしょう。」シモンの答えに、イエスも、「そのとおりです」とうなずかれました。 それから、ひざまずいている女のほうをふり向き、シモンに言われました。「ほら、この女を見なさい。わたしがこの家に来た時、あなたは足を洗う水さえ出してくれませんでした。ところがこの女は、涙でわたしの足を洗い、髪でふいてくれました。 あなたはあいさつの口づけをしてくれませんでしたが、この女はわたしが入って来た時から、何度も足に口づけしてくれました。 あなたはわたしの頭にオリーブ油を注いでくれましたか。この女は、わたしの足にこんなに高価な香油を注いでくれたのです。 この女の多くの罪が赦されたからです。そして、わたしを多く愛してくれたからです。少ししか赦されていない者は、少ししか愛さないのです。」 そして女に言われました。「あなたの罪は赦されています。」 その場に同席していた人たちは、心の中でつぶやき始めました。「罪を赦すなんて、いったい自分をだれだと思っているのだろう。」 しかし、イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心してお帰りなさい」と言われました。」
ルカの福音書 7:36-50 JCB

 

主イエスキリストの御名において、常に私を導いてきてくださったこと、聖霊の働きによって、私に人々の間で深い愛とはどういうものかということを常にお示しになってくださっている主の恵みに心から深く感謝します。天に行われる主の御心が地にも行われることを心からお祈りいたします。アーメン。

 

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