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被造物としての時間

聖書的な世界観においては、時間も創造主の被造物と考えるので、パラレルワールドという世界観も、並行的に存在している時間軸そのものが被造物であると考えれば、そもそも構造的に比較的受け入れやすい世界だとも言える。4-5世紀の神学者アウグスティヌス は、「告白」の中で過去現在未来は全て今の中に内包されていると考え、創造主の時空間からの超越性を解いた。今の時代はこの創造主という視点抜きになかなか時間や空間についての正しい認識を深めていくことは次第に難しくなっていると言える。

そもそも死はアダム以降の人類にとって時間の終焉を意味するわけで、原罪以前の人間は、そもそも時間という被造物の中に閉じ込められているわけではなかった。
創造主が時間を被造物として造ったのであれば、別の時間軸へと人を携挙することも簡単なこと。
汎神論的な世界では、自分の心が、パラレルワールドを創り出していると考えるが、実際のところこれは間違えていて、あくまで創造主が時間という被造物を造っているという理解が正しいと思う。そうしたことに気づかせてくれたのが、全てにおいてこうしたことが事前に預言されていた聖書の預言書だった。
そして何より主イエスキリストとは、時間を含めた被造物世界の王として、神の右に座しておられるということ。
僕にとってのマンデラエフェクトの経験とは、結局のところ時間という被造物を造りたもうた創造主の臨在を示すシャカイナグローリーだということになる。

同じパラレルワールドという概念を、一神教的に考えるか、汎神論的に考えるかで、全く違う認識になるね。この違いはすごい。この辺りの被造物としての時間という真実に気づいたのがアウグスティヌス だったんだと思う。

それこそ、パラレルワールドを唯心論的に考えると、まんまとサタニックな方向に進むからね。自分が神だという視点になってしまう。非常にエゴイスティックで、恐ろしい考え方だ。

死とはすなわち自らが被造物であるにも関わらず、創造主から離れて、塵と化してしまうこと。つまり主から離れ、被造物である時間の中に自らを同一化し、ともに滅び去ってしまうこと。時間との同質化が罪による堕落のポイントなのかも。