パーソナルな神様

ある意味日本においても、仏教や神道といった伝統的宗教が、国際化の波の中でシンクレティズム化(スピリチャリズム化)し、その中で生まれたニューエイジ的 信仰を通じて、「共同体の神」ではない「私にとってのパーソナルな神様」ができた。それによって、「個人の信仰に対する(自己批判を含む)批判の余地」が生まれたわけだ。そして、そこにおいて初めて弁証学的な思弁の可能性が生まれてくるわけだ。
そして弁証学的な思弁をしっかりと突き詰めていくと、結果的にいかに新旧両訳聖書の世界が神学的によくできているかという真実に行き着くことになる。
結局ユダヤ教のパリサイ人であったパウロも、もともとは(現在のニューエイジ と非常によく似ている)マニ教であったアウグスティヌス も、同様の理由から、クリスチャンとして回心することになったわけだ。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク