なぜクリスチャンとしての信仰告白をするのか ―無償の愛について

和を以て貴しとなすという文化の日本において、信仰告白をすることはリスクでしかないし、「なぜ、それでもクリスチャンであることを選ぶのか?」という問いに関して、明確な答えとしては「無償の愛」がここにあるから。「結局、罪なき自分が、相手の罪を背負って、贖う」つまり「見返りを求めずに、他者のために生きる」というイエス様が示された無償の愛の「型」を、人にも分かりやすく伝えるには、主イエスキリストの信仰告白をした上で、行いを通じて証していくしかない。信仰告白抜きに、行いに進んだところで、「いい人」でおわってしまうし、場合によっては「ただの都合のよい人」になってしまう。クリスチャンにとっての無償の愛とは、まず何よりも主を讃えることに大きな目的があり、その大目的のために自らを十字架にかけるということがベースにあるということを理解してもらうためにも、信仰告白は避けては通れない道であるといえる。

クリスチャンになってよかったのは、何よりもこの「無償の愛」というテーマについて、より深く、輪郭を持って臨めるようになったこと。しかもクリスチャンとしての信仰を持つ人は、すべからくイエス様が十字架の上で示された「無償の愛」という型を信念として持っているので、打ち解けるのも早いし、またともに行動する時にも非常に合意形成が早い。こうしたことは本当に主イエスキリストの恵みだなと深く感じる。

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