自己義認の罠

汎神論的な世界ではどこまで抽象度を高めても「自分を愛する」という枠組みを超えることはない。なぜなら神とは自分と他者、世界という境界線をとった最大のもの(ワンネス)であると考え、その中には自分自身も含めるから。またそうして広げてワンネスに行き着いた先には、最終的には仏教の悟りや空/無のように、無神論に帰結するし、決して創造主という真実に行き着くことはない。ここが「自己義認」の罠になっている。現在の汎神論の最も普及した信仰形態となっているニューエイジ (スピリチュアル)的な思想の危険性はここに集約されると行って過言ではない。大事なことは、創造主と被造物の自分という関係性を明確にすること。そして、創造主は常に私たちを愛しており、原罪によって死を体験することになった私たちを、自らの御子を十字架の上で屠って、その罪を贖ってくださったという真実を知ることが何よりも大切。これはどれだけ汎神論的な世界の延長線上で考えても、辿り着くことのない真実。ゆえに一神教は啓示宗教であり、決して人間が考え出した宗教形態ではないということ。これは何度繰り返しても、繰り返し過ぎることはない重要なポイントである。自己義認では永遠に私たちは救われない。大事なことは、自らの罪を悔い改めて、十字架の意味をしっかりと受け止めること。

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