人は罪を犯すが、信仰によって救われる。

十字架を信じ、また十字架を背負うという方法以外に、人間関係のいざこざや、様々な問題を根本的に解決する方法はないなとしみじみと感じる。やっぱ赦しって大事なんだよな、としみじみと感じる。僕は取るに足りない罪人でしかないが、こうして主の恵みによって召されて生きていることに心から深く感謝するし、日々知らず知らずのうちに積み重ねていってしまう愚かさや罪深さを、しっかりと悔い改めながら、主イエスキリストの愛をもとに生きていきたいなとしみじみと感じる。
やっぱ35年も生きていると、大体十戒にかかれている、世の中で知らず知らずのうちにやってしまう罪なんて、ほとんど全部やっているわけで(離婚だって立派な姦淫の罪なわけで)、それにさらに自分の場合は占いやニューエイジ(いわゆるスピリチャル)を信奉するだけでなく、推進さえしていた。本当に愚かだなと思うし、ただただ主の前で、恥じ入り悔い改める日々。

しみじみとあらゆる罪を犯してきているな…と感じる。大体誰から見ても、札付きの悪よりも、よっぽど頭がいい、一見品行方正、優等生タイプな人間の方が…、気づかず悪いことをしているものだ。自分もそうなんだろうと思う。聖書を読んでいると、イエス様の御前で、しみじみと恥じ入るね…。
罪を犯さないで生きるなんて、まぁ、無理だよなと。その上でいかに悔い改めるかが大事だなと。こんなとるにたらない罪だらけの自分のために、イエス様が十字架の上で屠られて、贖ってくださったなんて…、やっぱり恵みだなと実感するし、自分もそうありたいな…できるかな?できないかな?いや、なんとかやってみよう!と、今日も教会に行って、しみじみと思う。信仰って、そういう積み重ねなんだなと。まるで、「杉本さん、日進月歩でじっくりとだね」とイエス様がいってくださっているよう。

父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。

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