イエス様の救いは「道徳的」な救いではなく、「霊的」な救いである。

わりと十字架理解を「道徳的」文脈でとらえて、信仰から離れてしまっている人は多いなと感じる。特に厳しいミッション系の学校に通っていた人などに、こういう誤解を持っている方が多いなと感じる。

イエス様の十字架を道徳的な規範だととらえてしまうと、本来は「信仰義認」という素晴らしい愛の恵みにあふれたものなのに、一気に「戒律主義」的な文脈として誤解されてしまう。それでも、ちゃんと十字架の恵みと救いは聖霊を介して働いているということも、また十字架のすばらしさではあるのだが、そういう人にこそ、今一度イエス様の十字架は決して「道徳的」なものではなく「霊的」なものであることを理解してほしいなと思う。

イエス様は道徳的に私たちを救ったのではなく、霊的に私たちを救ったのだ。道徳的に人を救える人はガンジーやマザーテレサなど、その後クリスチャン・ノンクリスチャンに関わらず世界でも何人も現れたが、しかし、人類を「霊的に」救える人は、創造主の御子であるイエス様をおいてほかにいらっしゃらない。
それゆえ福音の三要素(イエス様が十字架にかかって罪を贖い、死んで墓に葬られて、3日後に復活し今も生きておられること)を「信じる」必要が出てくる。そして、信じることだけで、霊的に救われるようになっているわけなのだ。これは重要過ぎて、何度でも繰り返したい、キリスト教の救いの教理の本質だといえる。

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