道徳的な赦しと、霊的な赦しのタイムラグ。

道徳的に相手を赦せなくても、霊的に相手を赦すと思えば、しばらくすると道徳的にも相手を赦せるようになる。この二つの赦しのタイムラグの間に働いているのが、聖霊の働き。聖霊の注ぎ抜きに、霊的に赦すことは難しいし、その結果道徳的にも赦すことは難しい。霊的な赦しは一瞬であって、道徳的な赦しは時差がある。このこともすごく大事なことだと思う。イエス様の十字架抜きに、相手を道徳的に赦すことは非常に難しいし、聖書の中で「汝の敵を愛せよ」という御言葉が意味するものも、それは前提として「霊の注ぎ」があるからこそ。イエス様の十字架と、聖霊の注ぎ抜きに、「7の70倍赦す」ことは不可能だ。「7の70倍赦す」ということは、霊的に相手を赦すということに他ならない。霊的に相手を赦せば、自分も霊的に神様から赦されることになる。神様からの赦し抜きに、自分も相手も赦されることは永遠にない。人を呪わば穴二つ。人類で起こりうるすべての呪いは全てイエス様が十字架の上で受け止めてくださった。父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。


「木にかけられた者は、神に呪われたものだからである。」申命記 21:23 新共同訳

カテゴリー: 未分類 パーマリンク