献金の本質

キリスト教の献金の本質って、ファンドっていう部分があるんだよな。どこかの教会のお金というよりも、そもそも本質はキリストの身体全体に流れているお金の量を増やさないといけないということ。働きを加速させるためのお金。そういう意味でも、どちらかというと本質的には、ファンドというイメージが近い。

結局たくさん真面目に献金している人って、神様がちゃんと覚えているし、実際エクレシアの中でも信頼を得て、大きな働きを成していくことが多いと思う。つまりクリスチャニティにおける献金の本質って、人本主義なんだよな。結局そういう人には豊かな人間関係が返ってくるわけで、そりゃ御言葉通り蒔かれた種はよい畑で育つことで100倍になるんだと思う。

ニューエイジでは自己投資だが、キリスト教における献金って、第一義に主への投資であり、第二義に他者への投資なんだよな。そもそも最初から自分は主の恵みによって無償で救われているわけで、まず主を愛し、次に隣人を愛するという御言葉通り、お金の流れもそうなっている。

献金をちゃんとしていたら、その界隈はお金のめぐりが良くなって、結果人が育ったり、救われる人が増える。そうすればおのずと豊かな関係性が広がるわけで。良い働きをしているグループや人にはしっかりと献金していくということは、結果的に必ず良い人間関係を周囲にもたらしていくことになると思う。こういう論理で、キリスト教の献金というものは成り立っているのだと思う。

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