イエス様の実在を感じることの重要性

そうか。イエス様をはじめとして、父なる神、聖霊にちゃんと霊的に出会っていないと、聖書ってなかなか読みこなせないんだな。だんだん伝道に関する今後のテーマが見えてきた。

福音を信じて救われた後も、ある一定の割合で一ヶ月ほどしてから「聖書に興味が持てません」と言われるのだが、ほぼほぼ確実に霊的にイエス様と出会って、聖霊の実在をまだ感じていない場合が多い。ここが重要なんだなと思う。聖書って要はイエス様の臨在の証の本だから、イエス様という一人の人格を持った創造主との出会いのための本なんだよな。
聖書の抽象度を高めると、イエス様ご自身になるんだよな。
そりゃ確かにイエス様と出会ってなかったら、聖書が感情的に依存する対象になり得ないし、勉強のための義務のようになってしまうよね。そりゃ当然だわ。

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭1:1-5, 10-18‬ ‭新共同訳‬‬

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