求めよ、さらば与えられん。

聖書自体がイエス様の証の書なわけで、肝心のイエス様と出会ってなければ(あるいは求めてなければ)、そりゃ御言葉は入ってこないし、勉強すべき組織宗教の経典と思って挫折するのも無理はないね。パウロもイエス様と出会って回心しているし、そういえばニューエイジャー の旗手であったドリーンバーチュー もイエス様と出会って、聖書を読み始めて回心した。ニューエイジ 的な意味でアセンデッドマスターの一人としてイエス様を引用はしていたけれど、決して本当の意味でイエス様と出会ってはいなかった。確かに人は窮地に立たされた時に初めてイエス様を求めるのだと思う。求めよさらば与えられんというのは、イエス様ご自身を求めるということなのだと思う。

「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭11:9-13‬ ‭新共同訳‬‬

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