清貧であるべき職業

次第に、なぜ自分が主に召しだされているのかという輪郭が見えてきている。大学では政治経済学を学び、その後も、ビジネスの世界でしっかりと生きてきたからこそ、経済的な事象には強い。牧師業というのも、会計上は立派な自営業であるが、聖書的な理解では清貧であるべき職業であって、それゆえ牧師先生特有の宣教における経済的な課題も多いのだなと色々ヒアリングしていくと見えてくる。牧師業の平均給与は一般的に100万~200万台程度といわれていて、現代社会では決して楽な生活ができるような仕事ではない。主の召命と、志無しにできることでは決してない。
と同時に、サタンの攻撃を受けやすい業種である牧師先生は、マモンの霊が常に入ってくる経路である経済的な事象に関しては、確かに霊的な意味でも、清貧であるべき。しかし、それゆえお金に疎い世界なので、マーケティング的スキルは弱くなるし、それゆえにこの資本主義経済の中での宣教を、難しくさせている側面も多々ある。聖書的な意味においても、確かに聖職者は、清貧でなければならないというのも非常に深い意味合いがある。それゆえ、周囲の人々がしっかりとしなければいけない。このあたりが今の日本のキリスト教界が弱いのかもしれない。経済に明るい信徒が、しっかりと牧師先生をサポートしていかないといけない。イエス様が色々な人(役割)を教会の中に立てたように、経営的センスを持った清富は、その清富ゆえの大切な役割があると思う。それを最近肌ですごく実感する。経済に明るい人は、その賜物をいかして、無心で兄弟姉妹のために献身していくことは、やはり非常に大事なことだと思うし、お金というのはこの世の血液なので、一人でも多く福音を知って救われていくためにも、しっかりと御言葉の原則によって、管理されて行かなければならないと強く実感する。

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